エッシャーとシェアリング・エコノミー

最近、浜町SCIが運営しているニュース・サイト「The Financial Pointer」に関して、不思議な感覚に囚われる経験をした。
あたかも、エッシャーの絵の中に迷い込んだような感覚だ。

ことの始まりは週刊東洋経済2018年4月7日号「経済を見る眼」欄に掲載された、元日銀理事 早川英男氏による「デジタル革新とGDP」と題するコラムだった。
このコラムで早川氏はデジタル革新が進む中、GDPから経済厚生を推し量ることが難しくなっていると主張している。
デジタル革新は人々に極めて小さな限界費用で、あるいは無償で効用を与えるようになった。
GDPはこの部分を取り込めておらず、また、機械化されたサービスの限界費用が小さいために、GDPの指標としての有用性が低下しているのだ。
この旬なテーマについて、FP編集部は広く紹介したいと考えたのである。

東洋経済の「経済を見る眼」欄は図表の入らないコラムとなっている。
その制約の中で早川氏は見事に自身の主張を説明されていたのだが、やはり絵がないのは寂しい。
展開されているのは、古典的な需要・供給曲線の議論だ。
そこで、FPとしては図表を付すことによって、キュレーションとしての存在意義を果たすこととした。
それが「早川英男氏:経済厚生を把握せよ」である。
この記事では2つの簡単な図を示しながら、早川氏の主張を繰り返している。

それから3か月が経ち、不思議なことが起こった。
所属する富士通総研サイトにおいて早川氏が「デジタル革新とマクロ経済(1)―経済厚生、GDP、長期停滞―」と題するコラムを発表し、先述の主張を繰り返したのである。
しかも、そこで使った2つの図はFPが作成した図であった。
とても簡単な図だから自社で作っても数分でできるはず。
それでも、わざわざ引用してくださったのには、何かメッセージがあるのかもしれない。

  • 「ちゃんと見てるからおかしなことはするなよ」という恫喝。
  • FPによる引用について許諾はしないまでも黙認するというサイン。
  • 単に同じものを作るのが面倒だった。

どういう意味かはわからない。
案外、3つ目の可能性も高いのだろう。
その3つ目の理由こそ、エッシャーの絵のような感覚を引き起こした原因だ。
FPが引用元から逆に引用されることは珍しいことではないのだが、このテーマでの被引用は不思議な構図を構成する。

早川氏がデジタル革新と経済厚生に目を向けた1つのきっかけは、東京大学の渡辺努教授との議論であったという。
渡辺教授は昨年11月、「価格ゼロ経済」の進展を指摘し、いかにも的を射ていそうな前提の下「効用の代用品としてGDPを使うことは最早できないと話している。
(ここで言う「効用」とは、早川氏の言う「経済厚生」と似た概念と考えればよい。)
経済学における測量士のような教授の関心は効用の測定法に向かい、Willingness-to-Pay(支払意思額)という考え方に言及している。
その後、早川氏が4月に東洋経済にコラムを書き、FPがそれを取り上げた。
7月になって、早川氏がFPの図を使い、主張を詳述した。

FPの2つの図こそ「価格ゼロ経済」の産物だったのかもしれない。
あるいは、予期せぬシェアリング・エコノミーとも言えるだろう。

価格ゼロで情報等を提供するという話は、大昔からあったものだ。
大昔は版木を彫り、昔はガリ版を刷った。
しかし、ネットの力は絶大だ。
テキストも図表も数クリックでコピー&ペーストできる。
「価格ゼロ経済」は間違いなく拡大している。


山田泰史山田 泰史
横浜銀行、クレディスイスファーストボストン、みずほ証券、投資ファンド、電機メーカーを経て浜町SCI調査部所属。東京大学理学部化学科卒、同大学院理学系研究科修了 理学修士、ミシガン大学修士課程修了 MBA、公益社団法人日本証券アナリスト協会検定会員。

本コラムは、筆者の個人的見解に基づくものです。本コラムに書かれた情報は、商用目的ではありません。本コラムは投資勧誘を行うためのものではなく、投資の意思決定のために使うのには適しません。本コラムは参考情報を提供することを目的としており、財務・税務・法務等のアドバイスを行うものではありません。浜町SCIは一定の信頼性を維持するための合理的な範囲で努力していますが、完全なものではありません。本コラムはコラムニストの見解・分析であって、浜町SCIの見解・分析ではありません。
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