【書評】バブルの物語(ジョン・K・ガルブレイス著)
『バブルの物語』は1990年ジョン・K・ガルブレイスによる、すでに古典的となったバブルについての著作。
世の中が騒がしくなり、久しぶりに読んでみた。
「日本の市場について言えば、楽観ムードの上に楽観ムードが打ち立てられて、ついには最終的な啓示と崩壊の日が来る、という脆さがある」
この一節に限らず、日本のバブル崩壊を実にタイムリーに予想していたことがわかる。
それほど1980年代終わりの日本のバブルはパターンにはまったものだったのだろう。
ガルブレイスはバブル発生の要因やパターンをいくつか挙げている。
- 金融上の大失態はすぐに忘れられてしまう。
- 金持ちが有能と誤解されている。
- 「金融の天才」が現れる。
- 「てこ」(レバレッジ)が再発見される。
- 目新しいものが現れる。
- 「真実はほとんど無視される。」
なるほど、過去にも現在にも思い当たることがたくさんあるのではないか。
やはり常に用心を怠らないことが大切なのだろうか。
その一方で、次に来る弱気相場ではこれまでと異なる面もあることはある。
- これまで各国の中央銀行が禁じ手としてきた政策が解禁され、これが少なくとも短期的にはある程度相場を支えるだろうこと。
- ガルブレイスは金融上の記憶を「せいぜいのところ20年」と書いているが、そうならば、先の金融危機の記憶が残っているだろうこと。
金融上の記憶については、確かにバブルの歯止めになっているのだろう。
その一方で、金融機関の最前線で活躍する人材に占める金融危機の経験者の割合は徐々に減少している。
金利上昇・インフレについて言えば、金融機関に限らず絶滅危惧種に近くなっている。
その意味でやはりリスクは見ざるをえない。
一方、日本人について言えば、バブル崩壊の記憶を強く刻みすぎて立ち直れていない感さえある。
これは不幸なことだが、次の弱気相場に関して言えば、それがゆえに傷が浅くて済むことになる可能性もある。
こんないろいろな考えを引き出してくれる古典である。
とても短く読みやすい本であり、あっという間に読むことができるので、図書館などで借りて読んでみてはどうか。
最後に、バブルの社会的側面について書いた一節を紹介しよう。
バブルに限らず、広く世の中で見られる現象であり、人間観察の極みであると思う。
陶酔的熱病のエピソードは、それに参加している人々の意思によって、彼らを富ましている状況を正当化するために、守られ、支えられる。
また、それに対して疑いを表明する人を無視し、厄介払いし、非難する意思によっても、同様に防衛されている。