【書評】経済学はどのように世界を歪めたのか
『経済学はどのように世界を歪めたのか 経済ポピュリズムの時代』はSMBC日興証券の森田長太郎氏が著した経済学(?)批判の書。
アダム・スミス以来の経済学の潮流を概説し、近年の経済政策に経済学・経済学者が及ぼした影響を詳説している。
また、官僚組織・金融機関・シンクタンクなどにどのような人材・派閥が存在したかなどが書かれ、昔を懐かしむのにも楽しい内容だ。
中から2か所、主たるメッセージに近い部分を紹介しよう。
インフレ・ターゲット政策は・・・「トンデモ理論」の一種であろうと言ってよいだろう。
人々は、自らが体感する経済の状況(・・・)に応じて、各人、将来への期待を形成するのである。
それを画一的にコントロールしようという発想には、ある種、かつての計画経済あるいは全体主義的なにおいすら感じるところである。
リフレ派の主張に対して疑問を呈した人たちの多くが、この点を共有している。
リフレ派の一部には、経済だけでなく人々の心まで政策によって自在に操れるかのように主張する人たちがいた。
そして、その主張に疑問を呈する人たちにヒステリックな口調で食って掛かり、挙句の果てには理解した上で疑問を呈する人たちに説教を垂れる始末だった。
勘違いをしてはいけない。
リフレとは欧米において正統的に主張された方法論であり、リフレ派の中にはまともな人も多く存在する。
しかし、一部の声の大きな人たちが一部の政治勢力と結びつき、経済政策をやや理屈に合わない方向に引きずり込んでしまったのだ。
《痛みをともなう改革》を掲げた小泉政権の思想とは異なり、一部のリフレ派は痛みなく経済が回復すると主張した。
これは、政権を奪回しようという勢力にとって都合のいい《経済理論》だったのだろう。
著者の森田氏が「経済ポピュリズム」と呼ぶのは、こうした流れなのだと思う。
経済が自在に操れるという傲慢とも思える考えのもとに政策が実行されていった。
成果がなかったわけではないが、最初に約束した年限・結果は達成できていない。
日銀はこっそり軌道修正を進めているが、基本的にはいまだイールドカーブ・コントロールの下、日本の債券市場は官製相場が敷かれている。
森田氏は将来を予想する。
必ずしも新自由主義的な市場礼賛の単純な主張を是とするものではないが、市場(ここでは日本の国債市場)はいずれ間違いなく、現在の国家管理(=中央銀行による)の軛を逃れようとして再び鳴動し始めるだろう。
昨秋あたりから、米国の金融市場で中央銀行の軛を逃れる例が見られている。
日本市場にもそういう時がやってくるのだろうか。
いずれ再び政策の枠組み変更の可能性を議論する時がやってくるのだと思う。
その時には、同じ轍を踏むことなく、大人の議論に終始したい。
日銀が大きなバランスシートを抱え、政府が大きな債務を抱える今、取りうる選択肢についての意見はそう大きくは変わりえないはずだ。
本書は400ページを超える読み応え満点の内容なのに、価格は2,000円とお手頃。
金融政策についてキャッチアップしたい若者から、昔を懐かしみたい老人まで、様々な楽しみ方のある良書だと思う。