【書評】日本経済の呪縛-日本を惑わす金融資産という幻想
ニッセイ基礎研の櫨浩一氏によるストックにまつわる経済書。
バランスのよくとれた良書である。
日本の問題点はきちんと指摘しつつも、必要以上に危機をあおったりしない。
経済の分析・仮説も精緻かつスクエアだ。
理系的なバランス感覚を感じさせる。
話は、金融資産とは誰かの負債であるとの視点から始まる。
(ここでいう「負債」とは資金循環勘定でいう負債、簿記でいう「貸し方」のこと。)
「日本の家計は1600兆円もの金融資産を持っているのだから、これを使えば相当なことができる」と言われることがある。
しかし、1600兆円の家計の金融資産は実は国内の誰かの負債なので、家計が貯蓄を取り崩して何かに使おうとすると、その影響がお金を借りている側の資金繰りに出てきてしまう。
こういう当たり前の命題でも、世の中では誤解されてしまっていることがある。
また、わかっている人でもあらためて指摘されると、ハッとさせられることがあるのではないか。
ちなみに、引用文のように家計が貯蓄を一気に取り崩したらどうなるだろう。
銀行は払い戻しのために国債を売り、日本国債は暴落し、金利上昇のために政府財政は破綻してしまう。
「これを使えば相当なことができる」というのは、国家を破綻させろと言っているのと同義だ。
櫨氏は投資によってGDPを拡大しようという政策に疑問を呈する。
なぜなら、金融資産を積み上げても、誰かが同額の負債を積み上げてしまうからだ。
では、実物資産ならばどうか。
実物資産をどんどん増やそうとすると資産の収益率が低下していってしまうという問題に突き当たってしまう。
・・・
設備を増やしていけばGDPは増えるが、維持・更新費用も増加していくので、設備の量が多くなると維持・更新の費用負担が大きくなりすぎて、それ以上設備を増やせなくなってしまうのだ。
・・・
日本もドイツも一度成功した輸出主導による経済成長という手法から脱却できていない。
これが、・・・世界経済の不安定化の大きな原因だ。
耳の痛い話だ。
とはいえ、日本の場合、産業構造の変化は著しく、輸出主導をあきらめざるをえないかもしれない岐路に立たされている。
むしろ、問題なのはドイツだろう。
ドイツが通貨統合の中で輸出超過を続けることは、ユーロ圏内の不均衡をますます拡大する。
欧州危機の芽は拡大し続けている。
そんな中で、財政統合にはNoとしつつ、緊縮政策を他国に強いる姿勢は非難されてもしかたない。
投資主導の成長戦略は、金融緩和とあいまって問題の根を大きくしてしまう。
櫨氏は超低金利のために日本企業の中で
ローリスク・ローリターンの投資を実施する傾向が強まってしまったのだ。
・・・
質、つまりは収益率が犠牲となり、低収益性の投資が大量に行われる結果となったのである。
と警告する。
低利の長期債を抱えた金融機関が金利上昇時に逆ザヤで苦しむように、事業会社にも金利上昇時に厳しい状況に陥るところが出てくるのだろう。
そもそも、日本政府は設備投資減税が大好きだ。
それをやりつくすと、次は法人減税だ。
政治家達は、よほど黒字メーカーと利害を共有しているらしい。
櫨氏はGDPという経済指標の限界に言及する。
日本で高齢化や労働力人口の減少が見込まれる中
GDPという指標だけを増やすことを目指した政策を実施することでは、かえって我々の生活は豊かではなくなってしまう恐れがある。
GDPを使わないという選択肢はありえないとしながら、「サービス化を受け入れよ」と最終章で語られる。
サービスは、GDPへの寄与が小さいかもしれないし、有形財とは違って価値を保存しない。
しかし、それでも価値のあるサービスには価値がある。
幸いにも、日本のサービス化は為政者の嗜好とは関係なく進んでいるように見える。