【書評】日本経済再生 25年の計
非ケインズ効果とリカーディアン
世間には非ケインズ効果という言葉がある。
《財政出動が経済を活性化する》という考えと相反する《財政再建が経済を活性化する》という現象だ。
日本の財政が悪いことはみんな知っている。
借金を踏み倒すわけにもいかない。
将来たとえば1人344万円も負担しなければならないなら、今は節約しておこう。
その結果は明らかだ。
需要は伸び悩み、ディスインフレが続く。
そんな経済に対して投資しろと言ったところで、企業経営者も投資家もワクワクはできないはずだ。
リカードの等価定理にはそれなりの説得力がある。
消費増税をして借金返済にあてれば一時的に景気が冷えるのは間違いない。
しかし、長い目でみれば将来の冷えが軽減されるだけのことだ。
わかっているはずなのに、政治家も有権者も安きに流れてばかりいる。
こうして安きに流れている人たちのうち、経済学をきちんと勉強していない人たちは、ただただ無責任なのであろう。
無責任になれば問題が解決する?
一方で、経済学をきちんと勉強している人の中には安きに流れることを推奨する人もいる。
ノーベル賞学者のポール・クルーグマン教授やクリストファー・シムズ教授だ。
日本が無責任になれば日本にインフレがやってきて経済が立て直せるという議論だ。
これらは無責任な金融・財政政策の薦めと括れるかもしれない。
これら提案の難点は、日本社会が無責任になりきれるかどうかわからないという点にある。
無責任な政策のために政府の混乱や高インフレに陥れば、その被害を最も受けるのは日本人だ。
日本人的感覚からすれば、無責任を自認するような人に長く国を預けるとは思えない。
(ただし、無責任を自認せず、実は無責任な政策を続ける人が長く政権を握るという実績はある。)
超長期の問題に対処できないリベラリズム
日本人は真面目だったはずなのに、なんでこんな財政悪化を招き、今後も続けていこうとしているのだろうか。
小林教授は、先進国の政治・社会についての観念に根差したものなのではないかと書いている。
「これまでの政治的なコンセンサスというのは、経済面では経済成長を目指し、政治面ではわりと個人主義を目指すという組み合わせ、要するに成長とリベラリズムの2つのパッケージでうまくいくと考えられてきました。
しかし、財政や環境などの超長期の世代を超えたような問題に直面するとそのパッケージではうまくいかなくなってしまうという、そこに問題の本質があるのではないでしょうか。」
高成長の時代、全体のパイがどんどん増えていた時代は、経済や社会に余裕を感じられるところがあって、財政や環境といった超長期のテーマでも大きな社会的分断を引き起こさずに済んだ。
ところが、経済が長期的に低成長を続けると、余裕がない分パイの奪い合いが激しくなる。
そうしたところで「自助」を基本とした政権運営を行うなら、格差はますます拡大しかねないだろう。