【書評】幻想の経済成長
『幻想の経済成長』(The Growth Delusion: Wealth, Poverty, and the Well-Being of Nations)はフィナンシャル・タイムズ元東京支局長デイヴィッド ピリング氏が書いたGDPについての本。
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GDPで経済成長を測定することのどこが問題かというと、それがあらゆる尺度の頂点に君臨していることである。
ピリング氏は何もGDPを廃止しろと言っているわけではない。
各国の経済政策で極めて高い優先順位を与えられているGDPであるがゆえに、問題点を知り、GDPの内外に置かれている課題とのバランスをとるべきと主張しているのである。
値段の割に文字の多い本だが、そこは新聞記者らしく読みやすく書かれている。
小説を読むような軽快さがある。
第1章はGDPの創始者とされるサイモン・クズネッツの物語だ。
クズネッツは、あらゆる活動を大ざっぱに合計しただけにしか見えない数字よりも、国民の幸福度を反映できる測定方法の実現に向けて努力を続けていたのだ。
彼は、非合法活動や社会的に有害な産業、それに政府支出の大半についても除外したいと考えていた。
だが、クズネッツはこうした論点の多くで敗北した。
クズネッツは国民の幸福を計ることを目的としてGDPを定義したかったようだ。
しかし、各細目が幸福を生むかどうかの判断にはコンセンサスのとれた価値観が必要だ。
結果、より客観的な「あらゆる活動を大ざっぱに合計した」ものに近くなったのだろう。
しかし、これも《客観的》というようなきれいごとでは済まない面があったようだ。
仮にGDPが一国の政策において重要な地位を占めるなら、ある営みにとってそれがGDPから外れるインパクトは大きい。
GDPが国家の目標とされるなら、GDPから外れた営みは省くべき無駄とされかねない。
クズネッツは、インフラ整備も含め政府支出の大半を「中間経費」と見てGDPから外すべきと考えていた。
実際「この時点までは、国民所得は・・・民間の個人支出だけで構成されていると考えられてきた」のだという。
ところが、財政出動による需要刺激策を重んじるケインズが、政府支出を算入すべきとする「革命的な主張」を行い「経済の再定義」を実現したのだ。
それ以来(もちろんケインズが望んだことではあるまいが)納税者から徴収した血税をばらまくだけであっても(少なくとも短期的には)経済成長になるという奇妙な状況が出来上がったわけだ。
この本では、何が入っていて何が入っていないのか、もし入れるならどういう物差しで入れるべきか、結果の数値をどう見るべきか、などが論じられている。
GDPが使い物にならないわけではない。
ただ、現行のGDPはクズネッツが求めたような「国民の幸福度」を測るものとは必ずしもなっていない。
そこをどう補っていくべきか、問題提起をしてくれる本だ。