【輪郭】コストがすべてだ!!
この議論から考えさせられるもう1つのことがある。
コストに耐えられない社会
金融政策を正常化させればコストが生じ、社会がそれに耐えられないだろうという読みが何を意味するのか。
この読みについて、筆者は100%賛同する。
だからこそ、このコラムでもたびたび日銀に金融政策正常化は無理と書いてきた。
渡辺教授が「コストに日本経済が耐えられるのか」と問う内容には、明言こそないが、民間部門だけでなく公共部門も入っているのではないか。
筆者は、秩序だった金融政策正常化の本質とは財政再建だと考えている。
日銀の置かれた状況がどのようなものかは、金融政策を正常化させればコストが生じ、社会がそれに耐えられないだろうという読みに如実に表れている。
この読みの趣旨とは、社会が足元のコストに耐えられないだろうということ。
だから、足元でコストを健在化させず、将来のコストに後倒ししようということだ。
何もそれが良いこととは考えてはいないだろうが、そうせざるをえないと考えているのだろう。
昨今、日本でもポピュリズム的主張がどんどん支持を集めているのを見るにつけ、後倒しが現実的な予想であることを認めざるをえない。
ギリギリまで追い詰められた一部の人たちからすれば、主張が理に適っていなくても、そう言わざるをえない。
そこに、声の大きな人たちが便乗する。
長い目で見れば弱い層・若い世代にとって不利な主張でも、足元のコストに耐えられないからそれを支持してしまう。
そうした政策の多くが、意図した層以外をより多く利する結果になる。
各国が非伝統的金融政策に飛びついた頃、高名な投資家の中に、この構図をポンジ・スキームと呼ぶ人が何人かいた。
政策の実行時には将来のコスト(投資家風に言えば資本コスト)を認識せず、手前で発生する効果(投資家から集めた資金の着服)を享受する構図になっているとの批判だった。
その構図は今も脈々と続いている。
もはや被害者と加害者の区別もつきにくい。
頭のいいリーダーの多くはこの構図の本質を理解しているのだろうから、まさにポンジ・スキームだ。
金融政策を正常化させればコストが生じ、社会がそれに耐えられないだろうという読みが意味するのは、日本社会がすでに後戻りできない自転車操業に囚われているということだろう。
金融・財政政策のペダルをこぐのをやめれば、過去のポンジ・スキームが明らかになってしまうのだ。
とてもいやな結論
こういう社会では経済学、とりわけマクロ経済学を忘却することが大切だ。
考えても悲しくなるだけだ。
幸福をもたらしてくれるとすれば、ミクロ経済学、ファイナンスなどの中の実学の部分だろう。
つまり、マクロの厚生の改善など望むのを諦め、ミクロ、つまり自身の安全を考えるしかなくなる。
自身の人的資本、金銭的資本を強化することだ。
国境を越え、経済成長やインフレのある社会に出ていくとなれば、自身の人材力が必要とされる。
経済成長やインフレのある社会で育った競合相手はかなり手ごわい。
伍して戦うとなれば、少なくとも日本国内で見て一流の人材になることが必要だろう。
しかし、現実にはすべての日本人がそうなれるわけではない。
それならば、せめて金銭的な資本だけでも充実させよう。
日本に留まる限りは少なくとも一部国内資産・円資産を持たざるをえないだろうが、かなり多くの部分を海外に振り分ける必要があるのではないか。
金持ちなら節税に努め、ふるさと納税で税負担を減らし、選挙では富の再分配に反対しよう。
(いずれも筆者が向かってきた方向と逆を向いている!)
そう思わせるほど、日本の将来は暗く見える。
もしも日本の将来が明るいと思う人がいるなら、しかも多くいるなら、是非ともエールを送りたい。
そういう人たちは危篤にも円買いを続けてくれるはずだ。
それが、それ以外の人たちに若干の時間的猶予を与えてくれるだろう。
山田 泰史
横浜銀行、クレディスイスファーストボストン、みずほ証券、投資ファンド、電機メーカーを経て浜町SCI調査部所属。東京大学理学部化学科卒、同大学院理学系研究科修了 理学修士、ミシガン大学修士課程修了 MBA、公益社団法人日本証券アナリスト協会検定会員。
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