【書評】「本当のこと」を伝えない日本の新聞
NYタイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏による日本の大手メディアに対する問題提起。
大手メディアによる報道のあり方への批判は金融界からも見られ、例えば10日にJP Morganの北野一氏が書いた「『メディア批判』という流行 – なるべく建設的に」にも見られる。
ファクラー氏の著書では様々な経験を通して感じた日本の大手マスメディアの問題点が指摘されている:
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なるほどと思わされることしきりだ。
記者クラブに加入しているメディア、とりわけ経済新聞を名乗るメディアの記事が最近ひどく面白くなくなったと感じるのは筆者だけだろうか。
最近では、日本についての面白い記事が多く流れているのはロイターだけになったように感じる。
日本のメディアの横並び記事の多さが理由か。
Bloomberg、WSJやFTなど海外の大手メディアが日本への関心を失っているのが理由か。
もっとも、筆者はマスメディアについて米国流が日本流より正しいとは感じていない。
と言いながらも、ファクラー氏の指摘する点について反論を持たない。
とりわけ、日本の大手メディアが公正中立を装う姿勢はいかがかと思う。
米国メディアは会社の姿勢を公言した上で、報道を行う。
一方、日本メディアは天上天下唯我独尊のような報道のあり方だ。
これでは普通の読者は記事を事実かつ公正なものとして受け取ってしまうだろう。
前述のJP Morgan北野氏のレポートの副題「なるべく建設的に」をもう少し紹介しよう。
北野氏が「建設的に」というのは、
メディア批判本を黙殺するだけではなく、できれば「反証」をあげて客観的な議論に誘導してもらいたい
というもので、大手メディア側への注文でもあるのだと思う。
さて、ファクラー氏の大手メディア批判を読んでいて筆者は別の感慨を持った。
- 記者クラブという閉鎖的な存在を通して、情報ソースを囲い込む大手メディア
- 権力や情報ソースと同じ船に乗ることでネタを取る記者たち
- 被災地に薬を届けようとしても、日本語の効能書がついていないとダメという厚生労働省
こういう側面を見ると、これは日本産業の縮図ではないかと思わせないか。
群れてお上におもねって、内向きなテーマを守ろうとする
日本人は「ガラパゴス化」で滅亡寸前だ。
内のパイが縮小し、外にも列強がひしめいている。
日本のビジネスがダメな理由がここには現れているように思う。