【書評】国家は破綻する――金融危機の800年
ハーバード大学Carmen M.Reinhart教授、Kenneth S.Rogoff教授がリーマン危機の翌年2009年に出版。
邦訳は村井章子氏の訳で2011年に出版されている。
この本の主題は「This time is different.(今回は違う)」という思い込みをいさめるものだ。
このThis time is differentとは、
- 米国は最高の金融規制・金融システム・政治があるので安心だ。
- 新興国は投資先を必要としていて、米国はその受け皿だ。
- 資本市場は厚みを増し、政府債務の拡大を吸収できる。
- 住宅ローン市場には新たな借り手が参入しつつある。
- 今起きているのは革新と国際化であって心配は無用。
なるほど、そういう思い込みは確かにある。
筆者は日米の国家財政に不安を感じてはいる。
仮に国家財政が揺らぐことがあるとすれば、先に揺らぐのは日本だと思う。
そういう思い込みも、このTime is differentの思い込みによるものだろう。
この著書は尋常でない気合の入った著書である。
巻末の注だけで数十ページある。
さらに、巻末の参考資料に至っては100ページを超える。
膨大なファクトに基づいて書かれた著書なのである。
驚かされるのは、数世紀にわたって歴史を振り返ると、公的国内債務のデフォルトが決して珍しくないことである。
リフレ派のうち思慮の足りない人たちは、国内債務はデフォルトしないと言う。
日本国債は大部分が国内消化だから大丈夫というロジックだ。
いざとなれば日銀が通貨を発行すればいいと主張する。
しかし、歴史を紐解くと、その主張は正しくないようだ。
数世紀も遡ったところで、今とは状況が違うのだから意味が無い、という人もいるだろう。
その指摘には一理あるが、一理しかない。
(最大の理は、通貨制度の違いだろうか。)
リーマン危機の時には「100年に1度の危機」と言われ、1929年からの大恐慌と比べて議論されることがあった。
日本の資産バブルの時には1637年のチューリップ・バブルなどと比べて議論されることがあった。
過去と未来は違うから温故知新は無意味とするのは人間が猿に成り下がることを意味する。
未来をどう見るかは別として、過去のファクトを知っておくべきだ。